小田切さんには幸せになってほしい、と言いつつ玖村のくせにって本心が透けて見えてとってもイライラします。
というのも舞は
・優里亜にいじめられたから
・伊藤に穢されたから
・詩乃が近藤さんにひどいことしたから
って理由で「自分が詩乃にやったこと」はなかったことにしようとしがちだから。こんなの反省しているようには見えない。
続きを読む小田切さんには幸せになってほしい、と言いつつ玖村のくせにって本心が透けて見えてとってもイライラします。
というのも舞は
・優里亜にいじめられたから
・伊藤に穢されたから
・詩乃が近藤さんにひどいことしたから
って理由で「自分が詩乃にやったこと」はなかったことにしようとしがちだから。こんなの反省しているようには見えない。
続きを読むマーレ観光、色がついてることがショックだった。白黒写真に色をつけてみたという画像を見たときのショックに似てます。関係ない知らない国(時代)の話だったものが色がついた途端そこに生命があると感じたような。うまく言えませんが。
車やアイスで喜んでいる調査兵団は可愛かったです。
今回久しぶりにリヴァイ兵長がいっぱい動いて喋ってるところが見れて嬉しい。待ちに待った「チビッ子ギャングかな?」も。たぶん父オニャンコポン母ハンジ子リヴァイだと思われてる。
その後ラムジーを庇うシーンなのですが、港の商売人たちに囲まれる兵長のなんと小さいことか。そりゃあピエロも子供と間違える。
港から逃げ出す兵長、足HAEEEEEEEEEEEE。子供一人抱えてるのに誰よりも早いし、逃げ切ったあとは一部を除いてみんな息切らしてるのに兵長はけろりとしている。さすがリヴァイ・アッカーマン。
エレンはずーっと思いつめた顔してて見てて辛くなった。
そして地鳴らしのインパクト。世界連合軍が地鳴らし巨人を何体か足止めしたけど、そんなの焼け石に水で、何万体もの巨人が次から次へと押し寄せてくる。
恐ろしい光景でした。熱風で人が焼け死ぬ(焼けるというか溶けてる)のも、大陸をあっという間に埋め尽くす巨人も。
「奴だ」「進撃の巨人だ」でもう鳥肌止まらなくなった。港から結構離れた位置から見た光景だったのに、それでも大きい進撃の巨人と地鳴らし巨人。
怖い。と同時に思う。エレンの人生いったい何だったんだろう。まるで虐殺をするために生まれてきたようであまりにも可哀想すぎる。
ただ巨人の能力とは関係なくエレンの中に破壊衝動があるのも事実で。
彼の不幸は人を愛する心を知ってしまったことだと思う。有害なケダモノを駆除する精神でいられたらここまで苦悩しなかった。
化け物のような精神と人間くさい部分を持ち合わせるエレン。虐殺行為を考えると悪魔じゃん、って気持ちになるし、最後のアルミンとの会話を考えると幸せになってほしかったな~って気持ちにもなります。すごく複雑。
2023年には最終章。原作やアニメを最初から読んだり見たりして待ってます。
地上波放送を機に見ました。
ママとシスター・クローネの再現度が完璧でした。ママはビジュアルはさながら、到底勝てないような強敵感と目力が。シスター・クローネは迫力とインパクト、強かなところなどが完全に原作です。原作からそのまま出てきたような雰囲気。
完全に原作といえば鬼もそうでした。色と動きがついたぶん怖さが増し増し。出てきた途端「ヒッ」ってなった。目玉ギョロギョロしてるし、エマとノーマンが隠れていた車の下を覗き込んだときは二人が食われるのではないかと思って焦った。原作は全部読んでて、そこにエマもノーマンもいないとわかっていたのにです。
エマ、ノーマン、レイはちょっとイメージと違った。
実写映画は原作と違って年が少し上(15か16)なのですが、エマもノーマンも15歳の割には見た目が大人っぽすぎて、でも言動は原作の11歳のままなのでちぐはぐな印象でした。
逆にレイの見た目は二人より幼い。どうやらレイだけはエマやノーマンより年下という設定だそうで、ここがだいぶ残念。三人とも年齢を揃えてほしかった。エマとノーマンを死なせたくなかったという言葉は同い年だからこそだし、レイが年下となると年下と脱獄作戦を立てるエマやノーマンがいまいち格好付かない。
年齢設定の変更は無理があったと思いますが、結構面白かったです。
約ネバは原作の結末にショックを受けたきりでした。けれども実写映画を見たことで脱獄編はすごく面白かったことを改めて実感。子供たちとママ、子供たちとシスター・クローネの心理戦は見てて手に汗握る。これぞ約ネバの真骨頂でしょう。
また、ソフトなホラー映画としても楽しめました。ホラー映画は見たいと思ってもドロドログチャグチャのゾンビとか痛々しくてショッキングなシーン、いわゆるグロが苦手で見れないのですが、実写映画約ネバはそういったものを見ずに「怖い!」という気持ちになれる。ホラー映画は見たいけどグロが苦手な人におすすめです。
鬼滅は鬼が全滅してめでたしめでたしな結末にモヤります。炭治郎だけでも鬼を皆殺しにしたことをもうちょっと重く深く受け止めてほしかった。悲しいにおいがするとか鬼は悲しい生き物だとか鬼に同情するようなこと再三言ってきたんだから。
人殺しは悪だから死を以て償わせるスタンスが「お前嫌いだから○ね!」になったのも残念。
前者も独善的だったり自分たち鬼殺隊が元人間を殺したことは何とも思ってなかったりで大概だけど一般人を守ろうとする側面があるのでまだよかった。
後者は感情に身を任せているだけでそれ故に鬼へひどい暴言を吐く。存在してはいけないとかとっととくたばれ糞野郎とか貴方何のために生まれてきたのとか。ジャンプのヒーローの言うことか? これが……。
また、鬼殺隊も鬼も人生最大の危機に直面したときに助けてくれたのが鬼殺隊か鬼かってだけで境遇や性格はそう変わらないのが何とも言えない。
妓夫太郎は先に会ったのが鬼狩りで鬼狩りになったら良い暮らしができると言われたら喜んで鬼狩りになったと思うし、妓夫太郎と同じく貧困だったカナヲは先に会ったのが鬼なら全部どうでもいいから特に抵抗することなく鬼にされるがまま鬼になってたかもしれない。
それでいて鬼殺隊は大正義!大悪党の鬼を皆殺しにしたから世界は平和になってめでたし!は無神経さを感じます。
産屋敷耀哉大絶賛なのも怖い。産屋敷はすごく優しい聖人のように扱われているけど最終選別の仕組みを見るに無慈悲で短絡的。最終選別で若手を無駄に殺している。
選別で命を落とした人物の中には今は弱くても大人になったら強くなるかもしれない大器晩成型がいたと思うんですが。錆兎も生きていれば柱クラスだったろうに。そういった可能性を一切考慮せず、またやり直しのチャンスも与えず選別の時点で死ぬような奴ならイラネ、はあんまりである。
鬼狩りになるための試験として鬼と戦わせるのは良いとしても最低限命の保障はしないと鬼と変わらず人殺しだし、何なら生きるために人を食わざるを得ず結果的に人殺しになった鬼のほうがまだましまである。
とまあすごくモヤモヤするところが多い鬼滅なんですが、それでも好きなところはすごく好きです。
例えばシリアスなシーン。妓夫太郎と梅の地獄での会話や、魘夢に見せられた夢の中で炭治郎が家族と再会するところなんかは泣ける。
炭治郎、善逸、伊之助によるギャグも面白い。女が絡むとポンコツな善逸が都会では常識的だったり、幼い子供のような伊之助が戦闘では頼りになったり、普段は頼もしい長男な炭治郎が変なところで天然だったり。キャラクターのギャップと、ボケとツッコミがその場で変わるのが良い。
女性キャラクターのデザインも可愛い。蜜璃ちゃんの桃+緑な三つ編みとか、しのぶさんの夜会巻き+蝶モチーフとか。可愛いんだけど大人っぽさもある。絶妙なバランスのオシャレ。
不満なところがこれだけあって、それでもついアニメを見てしまうのはやっぱ好きなところもあるから。声優さんは豪華だし作画も綺麗だし。
どんな作品にも好きな部分と嫌いな部分ってあると思うんですが、鬼滅はそれがすごく極端です。嫌いなところはすごく嫌いだけど、好きなところはすごく好き。
最近またアニメFSを最初から見てます。
ヴィリー・タイバーのアニオリ掘り下げ、あそこが本当に辛くて、毎回あのシーンで泣く。
というのも、原作時点では戦鎚の巨人が誰かわからないようにするためのカモフラ一族なんだろうなと思ってたから。
擬音「ひじきいいいい」「あじいいい」のところなんですが、良家の子としてはやんちゃが過ぎるのでよその庶民をタイバー家ってことにして連れてきたんだなと。
でもそうじゃなかった。ヴィリーはパパだし妻もいて両親もいる。子供たちはパパにとても懐いている。
カモフラじゃなかったんだ!と思ったと同時に落ち込みました。順当にいけばこの子たちは戦鎚を継承し十三年で命を落とすのだから少々甘やかし気味だったのかもしれません。
パパお仕事に行っちゃって、子供たち寂しそうだなぁ……。
なんて何の変哲もないごく普通の家族の一生の別れにしみじみと感動していたら突然現れた巨人にさくっと食われるヴィリー。
パパ殺されたし、殺したのは今まで感情移入していた主人公だしで、この辺ほんっとに辛い。
レベリオ襲撃は感情のやり場がなくてとにかく辛い。ひどい殺戮行為が行われてあんまりなのに殺してるのはよく見知った愛着のあるキャラクターたち。
もうね、どんな顔すればいいんでしょうこれ。何も言えなくなる。
・アニメのレベリオ襲撃を初めて見たときの感想
毎週欠かさずアニメを見ているのですが、あんまりにも辛すぎて言葉にできません。
地鳴らし阻止組の気持ちはよくわかる。どんな理由であれ虐殺はダメだし、何より私はハンジさんをはじめジャンやコニーたち古参組が虐殺を見て見ぬフリするところを見たくない。エレンを止めないミカサとアルミンも見たくない。ので具体的な策はなくとも地鳴らしを止めようと動いてくれてよかったと思う。
でもやっぱり自分が島の人間だったら絶対にエレンを支持するだろうし、実際のところ壁中人類に残された生き残る術が地鳴らししかない。じゃないと自分も自分の家族も殺されてしまうから、それなら壁の外の連中が滅んでくれたほうがいい。滅ぼすのが自分と全く縁のない赤の他人ならなおのこといい。
視点を変えれば地鳴らし阻止組もイェーガー派も肯定できる。
複雑な気持ちです。誰が悪い悪くないという話でもないし。
ただ、強いて言うなら初代レイス王のせいだと思う。
血に塗れた歴史を嘆き自国の民を引き連れて壁に閉じこもる。ここまではいい。
でもやるなら全てのエルディア人を連れて行かなきゃだし、知性巨人を王一人で管理するか、不戦の契りを九つの巨人全てにかけるまでしないと意味がない。
初代レイス王が実際にやったことはエルディア人を世界中に置き去りにしてるし、始祖と戦鎚以外の知性巨人は放置。
半端な行いをしたために壁の外ではマーレが巨人の力を利用して同じことを繰り返している。
始祖ユミルの主のほうのカール・フリッツは悪い!と言えるほどの悪ではない。
始祖ユミルに対する扱いは酷かったけど、でも巨人の力って現代でも実用性のある能力。重機にも輸送機にもなる。ちなみに燃料いらず。こんな便利で都合の良い代物、古代ならなおのこと重宝するでしょう。
何より子種王は壁の王とは違って後世のことをちゃんと考えている。巨人の力で大国を築き上げたからこそ、国を維持することも考えて三人の娘に巨人の能力を引き継がせた。
まあ始祖ユミルとその娘たちにとってはひどい話ですが。人間性はどうかしてるけどだからこそ大国の王としては完璧だった。
あと流石に二千年前って昔すぎて、そこまで遡って否定しなくてもいいんじゃないかなと。二千年もあれば巨人がもたらした悪いことと同じくらい良いこともあるはずなので。それこそ峠に橋をかけたとか。
初代レイス王が全ての知性巨人をきちんと管理していれば、少なくとも壁の外では巨人の存在も脅威も忘れ去られていたのではないか、と思います。
後世のこと全然考えずに壁にこもったから悲惨なことに……。