【傷だらけの悪魔】最終話を迎えて【第394話までの感想】

2014年5月から始まった傷だらけの悪魔、ついに完結しました。

 

第394話(最終話)までの感想

舞も近藤も唯も、詩乃と話をしたかった、詩乃を救いたかったと思っていたことにびっくりです。

どう読んでも、

舞「お前のせいでいじめられた! 潰してやる!」(※過去に詩乃をいじめた経験あり)
近藤「人の過去を晒しやがって! 潰してやる!」(※その前に詩乃に余計なことを言って怒らせた)
唯「お前のせいで千翔子が苦しんでいる! 潰してやる!」(※余計なお世話だし、詩乃のそばにいたい千翔子の気持ちを無視している)

こんな風にしか見えなかったから。

 

そして、ことが済んだあとの舞ですが……。

<いじめはなくせるか>

(中略)

いじめはなくならない
なくせない
私にできること
したいことは

「…同じことを繰り返したくはない…かな…」

また誰かをいじめるのは嫌
(中略)
私という悪魔はこれから何度も傷ついて姿を変えていくんだろう

引用元:第394話

何言ってるんでしょうね? もういじめたあとじゃん。自分が誠心誠意謝れば済むことなのに被害者ぶった挙句にわざわざ大勢の人間を巻き込み徒党を組んで攻撃して晒し者にして、詩乃のこと飛び降りまで追い込んだじゃん。

やりたい放題やったあとだもん。嫌いな相手のこと完膚なきまでに潰したあとだもん。そしてそれを肯定してくれるオトモダチがいる。それならきれいごとくらいいくらでも言えるよね。

 

この漫画は何を伝えたかったのか。そんな気持ちでいっぱいです。

あえてこの漫画から学べることを言うならば

  • 煽りの応酬、論破は会話ではない
  • 相容れない人間とは距離を取る。無理して関わらない

これくらいでしょうか。嫌いな人間とわざわざ関わる必要はないです。舞は今度からは「距離を取る」ができたらいいですね。

 

傷悪の思い出

私が傷悪を読み始めたのは2014年10月頃。ブログで感想を書くようなった今(2018年以降)こそ不満だらけですが、読み始めたばかりの頃……序盤の夏休みが終わった直後くらいまでは楽しく読んでいました。

何度も何度も読み返しては次の土曜日まであと何日か指折り数え、紙の本も購入し、comicoが課金システムを導入してからは課金をして読む。それくらい好きだった。

舞は優里亜にいじめられる筋合いないからやり返して、優里亜グループとの確執は終了。詩乃には過去のことを誠心誠意謝る。自分の過ちを認めて、反省して、ぼっちも受け入れて、高校一年はおしまい。進級してからは舞はもちろん優里亜も詩乃も心を入れ替えて人生再スタート。そんな結末を期待していた。

けれども話はだんだんと拗れていく。最悪なことに性犯罪まで出てくる。

 

思い返せば不満が炸裂したのは唯や当麻、伊藤ら男子がしゃしゃってくるようになってからです。

レ○プ計画犯、レ○プ実行犯、セカンドレ○プ野郎と最低な野郎が三人もいるのに実行犯だけがクズとして責められ、計画犯とセカンド野郎は仲間、特に女の子思いの良い奴扱いされるという歪んだ倫理観が露呈してからとにかく不満が増えた。生理的に無理だとさえ思った。

舞は舞で、いじめ主犯の優里亜に仕返しをするもどこか庇うような言葉をかけ、傍観を決め込んでいた大倉や宏樹、宏子は味方に引き込む。そのくせモブキャラは見ていただけのお前らも悪いからといって徹底的に潰しにかかるんだからおかしい。

モブキャラに「お前らが悪い」と八つ当たり、「傍観もいじめだから」「近くで悪口言うのダメだから」と説教説教説教……そんなこと言ったって何も響かないですモブキャラなんてその名の通り背景でしかない背景に何を言ってるの。

 

結局作者のお気に入りキャラだけ綺麗なまま。そうでないキャラはクズで愚かな者として終わる。8年かけて迎えた結末がこれか~とがっかりです。

傷悪は人間の多面性(例えば近藤千穂の過去編、舞にとってはいじめっ子な優里亜だけど、静にとってはヒーローで、近藤にとってはかっこいい人)が描かれるところがすっごく面白かったんですけどね。どうしてこうなったんでしょう……。

 

最後に

この漫画を楽しんでいた頃がどうしても忘れられなくていつまでも読み続けました。ずるずる引きずっているうちに最終話を迎えました。中盤以降から不満たらたらだったけど。結末も納得いかないけど。序盤や過去編は今でも大好きです。