「鬼滅の刃」が早めに完結してよかったと思う理由

引き伸ばされることなく早々にさくっと完結してよかった。

というのも、話が進むにつれて「あれ?」と思う部分が増えてきたから。

 

以下、コミックス最終巻までのネタバレおよび主人公や上弦の鬼に対する厳しい意見を含みます。アニメ派の方、主人公または上弦の鬼推しの方はご注意ください。

 

 

早めに完結してよかったと思う理由

主人公が独善的かつ絶対的すぎる

柱合会議以降、炭治郎の独善的な部分が目立ってきた。

敵はますます強くなり、性格はみんな残虐で、これまでの鬼と比べるとより無惨様にそっくり。いわゆる「悪い鬼」しか出てこない。

炭治郎は柱合会議で「善良な鬼と悪い鬼の区別がつかないなら~」と啖呵を切ったけど、これでは結局、柱の言うことが正しかったとしか思えない。

禰豆子も遊郭編では人を喰らおうとしたし、柱に向かって散々大口叩いといてやっぱりそうなるのかと。

なのに炭治郎は反省するどころか大胆な態度を取り続ける。鬼は悲しい生き物だと言ったのと同じ口で猗窩座や半天狗にキレる。

柱にも可愛がられる。

柱なんかやめてしまえとまで言った若輩者がこうも可愛がられるのは異様だし、柱(中立だった蟲柱や恋柱、無関心だった霞柱はともかく)もそんな簡単にころっと靡かないでほしい。理念に基づいてすぐにでも処刑しようとしてたんだからもうちょっと貫こう?

決して聖人ではない炭治郎がまるで聖人のように扱われまくる様はすごく不自然だった。

 

首斬られても死ななさすぎ

鬼の弱点は首。手足や体は斬られても再生できるけど首だけは無理、斬られたらおしまい。という明確なルールがあるにもかかわらず首を斬られても死なない鬼多すぎ。

累とか魘夢とか、首を斬られても死ななかった鬼は早くからいたけど、そこではまだマンネリを感じなかった。

堕姫と妓夫太郎。ここからうっすらくどさを感じ始めるも、それ以上に「二人で一人の鬼ってどういうこと?」という疑問のほうが強かったので言うほどじゃなかった。

半天狗や猗窩座。イライラするようになったのはこのあたりから。ただでさえ戦い自体長いのに、やっと首を斬った!と思っても死なない。首を斬ったけど本体じゃありませんでした。首を斬ったけど弱点を克服しそうです。いやいやいや早く倒れてくれ首斬ったんだから。

 

最後に

マイナスな部分ばかり書いたけど、ギャグは面白いし最終巻は泣けるし無惨様は突き抜けすぎててむしろ最高だしで鬼滅が嫌いなわけじゃない、大好きだ。

だからこそ早めに(好きな部分とモヤる部分が五分五分のうちに)完結してよかったと思う。

ジャンプには引き伸ばしを理由に好きじゃなくなった漫画がいくつかあるので、鬼滅はそうならなくてよかった。