斜線堂有紀「恋に至る病」の感想 寄河景という人を考える

この先、重大なネタバレを含みます。未読の方はご注意ください。

 

 

前置き

『恋に至る病』は寄河景という一人の少女の存在そのものがミステリーといえよう。

彼女はブルーモルフォという自殺教唆ゲームを開催し、百何十人もの高校生を自殺に追い込んだ。

こうやって書くととんでもない殺人鬼にしか見えないのだけど、本書を読めばわかるように寄河景という人間は主人公・宮嶺望が転校初日にパニックに陥り言葉が出なくなった際、旧知を装って声をかけ、緊張を解いてくれた救世主でもあった。

宮嶺は寄河景が声をかけてくれたおかげでできなかった自己紹介ができ、新しいクラスに馴染めた。

 

寄河景の善行はそれだけに留まらない。いじめに遭い、苦しんでいた宮嶺を励ましてくれたのも寄河景だった。

高校生になった寄河景は、屋上から飛び降りようとしたクラスメイトの善名さんを助けたりもした。

他にも寄河景は小学校時代には児童会を、高校時代には生徒会長を務めたりと、とにかく優秀で優しい。そういう人間だ。

 

そんな彼女がなぜ自殺教唆ゲームを開催したのか?

なぜ宮嶺をそばに置いておいたのか?

それが本書のミステリー(謎)だ。

 

寄河景という人を考える

寄河景は宮嶺のことをどう思っていたのか

宮嶺のことはきっと好きだった。恋をしていた。最後の4行に登場した宮嶺の消しゴム、あれは恋のおまじないのために寄河景が盗んだものだ。

いざとなったら宮嶺に罪をなすりつけようと考えていた可能性があるようにも見えるが、違う。

むしろ宮嶺がブルーモルフォに引っかかって死なないように先手を打っておいただけなのかもしれない。

寄河景の、宮嶺望に対する恋心は本物だったはずだ。

 

寄河景はサイコパス

それはそれとして寄河景は正真正銘のサイコパスで間違いないと思う。

寄河景はとても頭が良い。けれどいくら頭が良くても10代。世界が自分の思い描いた通りに動いて面白くないわけがない。

 

わずか12歳にして、いやもしかしたらもっと早くから、「要求は段階を踏めば何でも受け入れてもらえる」可能性に気付き、実際に試してみたら上手くいった。

これって誰にでもできることじゃない。上手くいったのは寄河景が「要求するタイミングを見計らう能力」も「適切な段階を計算できる(他人に違和感を持たれない過程を組み立てられる)頭」も持っていたからだ。

自分で気付いた可能性が、自分の持つ能力で事実だったと証明できて、筆舌に尽くしがたい万能感にさぞかし酔いしれたことだろう。

 

自身の能力に溺れるだけなら至って普通の健全な10代だが、寄河景が「本当に段階を踏めばどんな要求でも受け入れてもらえるのか」を試した場は自殺教唆ゲーム。

それだけでも十分に狂っているのに、彼女はもっともらしい理由をつけて繰り返し他人を死に至らしめる。まさにサイコパスだ。

(まともな子ならせいぜいクラスで自分が有利になる程度に能力を発揮するだろう。)

 

最後に

『恋に至る病』を読んでからというものの、寄河景という存在がずっと頭の隅に残ってる。それほどに彼女は強烈だった。

恐ろしいのが、寄河景は残虐な本性をひた隠しにして周囲と馴染み、社会に溶け込んでいるところ。

もし私がこの小説の中で生きる人間だったとしたら、寄河景とは絶対に関わりたくない。容易くコントロールされそうだから。

けれども実際に関わりを持ったら宮嶺や善名さんみたいにころっと陥落して恋に至るんだろうと思う。それこそ寄河景が悪い人間だなんて夢にも思わずに。