【映画・告白(原作:湊かなえ)】救いを感じた

喋りっぱなしの「告白」を映像にするのは難しそうだ。あれは小説だからいいんだ。そんな風に考えてたけど予想をはるかに超えてきた。映画は語り手が喋るだけじゃなかった。

 

原作を読んで思い浮かべていたのは森口先生が教室でひたすら喋る姿と、森口先生が語るエピソードのイメージばかりだった。

でもそれを聞いてる生徒は何をしているか、そこに全く視点を当ててなかった。

というより自分が森口先生の話(告白という本そのもの)に夢中だったので生徒も夢中で聞いてるんだろうなと信じて疑わなかった。

でもこれはホームルームの出来事。教師と生徒がいて成り立つこと。教室には当然色んな生徒がいるわけで、みんながみんなちゃんと聞いてるわけじゃなく、それどころか賑やかな生徒のほうが多くてまあ騒がしいこと騒がしいこと。大人しく聞く子ばかりじゃないことを失念していた。

その他大勢の生徒に血が通っていた。それだけにいじめのシーンなんかは生々しくてより残酷に見えた。なるほどこれはR15。

 

残酷な一方で、「救い」も感じられた。湊かなえの容赦のなさが浮き彫りにもなった。

修也は原作は母親に愛されないままで、なんの救済もなく終わった。でも映画は母親が修也の成功を喜ぶシーンがあった。

映画を作った方々はきっと、せめて映画だけでもと願わずにはいられなかったんだろうな。罪を犯したことは同情できないけど、彼の生い立ちはあんまりにも可哀想だったから。